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東京高等裁判所 昭和45年(う)428号 判決

被告人 池田緋登美

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺良夫提出の控訴趣意書および控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事臼井滋夫提出の答弁書におのおの記載されたとおりであるから、これを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのとおり判断する。

一、控訴趣意第一点の一ないし三および四の(一)(法令適用の誤り)について

所論は、たとえ左、右の見とおしのきかない、かつ交通整理の行われていない交差点であつても、本件の交差点のように、交差する道路の一方(被告人運転車両の進行していた道路)が交通量のきわめて多い国道であり、他方(被害車両が進行していた道路)が交通量の少い市道であり、またその市道の幅員が四・二メートルであるのに対し、国道の幅員が八・八五メートルもあつて、国道の方が市道より幅員が明らかに広く、かつ市道の側に一時停止の道路標識が設置されているなどの事情がある場合には、その国道を進行している車両の運転者に対し、道路交通法第四二条で規定する徐行の義務が免除されるものと解せられるのに、原判決が車両を運転して、その国道上を進行し、交差点に入ろうとした被告人に対し、徐行の義務を科したのは、道路交通法第四二条の解釈を誤つて、これを不当に適用したものであり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

しかしながら、道路交通法第四二条は、車両等は、交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかないもの、道路のまがりかど付近、上り坂の頂上付近、勾配の急な下り坂又は公安委員会が道路における危険を防止し、その他交通の安全を図るため必要があると認めて指定した場所においては、徐行しなければならないと規定し、徐行すべき場所を明定していて、所論のように交通量の多寡や道路管理者のいかんによつてその除外例を設けていないのであるから、たとえ本件交差点における交通状況や道路管理者の別が所論のとおりであつたとしても、その交差点における徐行の義務が免除されるものではないこというまでもない。ただ所論のように、交差する道路の一方の幅員が、他方の幅員よりも明らかに広いため、道路交通法第三六条により優先通行の権利が認められるときは、その優先通行の権利を有する運転者に対し、同法第四二条で規定する徐行の義務が免除されることは、所論のとおりである。(最高裁判所昭和四三年七月一六日言渡判決、集二二巻、七号、八一三頁参照)そこで原判決がこの点に関し判示している内容を調査すると、その趣旨が必ずしも明確でないが、つぎのようなこと、すなわち被告人の進行していた道路(国道)の幅員は、交差点の東側およびその交差点をこえた西側とも約八・八五メートルであり、被害者の進行していた道路(市道)の幅員は、交差点の北側において約六・二メートル、南側において四・三メートルであつて、道路の幅員そのものは、被告人の進行していた道路の方が、被害者の進行していた道路(交差点南側の道路)のそれよりも半分以上も広いけれども、被害者の進行していた道路の交差点入口右側のかど地の部分(交差点の東南角にあたる部分。被告人の進路からいえば、交差点入口左側のかど地。)には、幅約二・一メートルの空地があり、しかも交差する道路のいずれもが歩車道の区別のないアスフアルト舗装であるうえ、その双方の道路に沿つて人家が立ち並び、左、右道路の見とおしが妨げられていたという事情もあつたため、被害者が進行していた市道から交差点に進入する場合においても、はたまた被告人の通行していた国道から交差点に向つて進行する場合においても、右空地の部分は被害者の進行していた市道の一部であるように見え、従つて交差点入口におけるその市道の幅員は空地の幅と市道の幅員とを合した約六・四メートルであるかのような観を呈していて、誰が見ても、一見して、市道よりは国道の方が明らかに広いと見分けがつくような状況にはなかつたということを判示しているものと理解され、原判決の右判断は首肯できないでもないが、当審における事実取調の結果、ことに当裁判所の証人大柴徳茂に対する尋問調書及び検証調書によると、原判示の右空地の部分は幅約一・八二メートルで、原判示の市道にそい長さ約一五・八メートルの長方形の土地であつて、昭和四〇年頃、その所有者がこれを市に寄贈し、当時市道に編入され、それ以後原判示市道の一部として車馬の交通の用に供せられてきたものであることが明らかに至つたので、右空地の部分が市道に含まれないとしている原判決の前記判断は誤認した事実を前提としたものであり、その意味において失当であるということになるが、当審において明らかにされた右事実に基いて原判示市道の幅員を算出すると、同市道の幅員は交差点付近において右空地部分の幅約一・八二メートルとその編入前の市道の幅員約四・七三メートルとを合したもの、すなわち約六・五五メートルであるということになるので、幅員自体被告人の進行していた国道の方が、被害者の進行していた市道よりも明らかに広い関係にあるとはいえないことが明らかであり、従つて結論においては、原判決の前記判断は正当であり、国道上を進行していた被告人が道路交通法第四二条で規定する徐行の義務を免除されるいわれがないこというまでもない。また交差する道路の一方に一時停止の道路標識が設置されているときには、他方の道路を進行する車両等の運転者に対し、道路交通法第四二条で規定する徐行の義務が免除される場合があることも、所論のとおりである。(前記裁判例参照。)しかしながら、本件のような交差点において、交差道路の一方に一時停止の道路標識がある場合に、その標識の設置されない方の道路を通行する運転者に対し、徐行の義務が免除されるということになると、その徐行の義務を免除さるべき運転者のうちには、その道路標識が設置されていることを認識できないため、本来は徐行しないでもよいのに、道路交通法第四二条に従つて徐行する者のあることが予想される一方、その道路標識が設置されていることを知つている運転者は、徐行をしないで、交差点に進入することとなり、その交差点における交通の規制が一律に行われないで、無用の混乱が生ずるであろうことが予測されるので、本件のような交差点を、一時停止の道路標識による交通の規制がなされているという理由から、交通整理の行われている交差点の場合と同じように扱つて、前記法条にいう徐行すべき場所にあたらないと解するのは、相当でない。以上のとおりであるから、原判決が原判示の交差点に入ろうとした被告人に対し、交通の状況に応じて一時停止または減速徐行をすべき義務があるとして、同判示の義務を科したのは相当であり、原判決には所論法条の解釈適用を誤つた違法がごうも存しない。論旨は、理由がない。

二、控訴趣意第一点一ないし三および四の(二)ないし(四)(法令適用の誤り)について

所論は、被害車両の進路にあたる道路上には一時停止の道路標識が設置されていたので、被告人は被害車両が必ずや原判示交差点の手前において一時停止し、被害車両に優先して被告人運転の車両を通行させてくれるものと信じて進行したところ、被害車両が被告人運転車両の前面を突破してしまおうと考え、交差点内に飛出したためにひき起された事故であつて、このような場合、被告人としては、相手車両が交通法規に従い、一時停止ないし徐行することを信頼して運転すれば足り、一時停止の道路標識による規制を無視して、交差点内に暴走してくる車両があることまでを予測しながら、進行する義務がないこともちろんであり、被害車両の無謀運転に比べると、被告人の徐行義務違反はとるに足りないものであつて、その程度の違法運転は信頼の原則の適用を妨げるものではないと解されるから、本件は無罪となるべき事案であるのに、原判決が被告人に原判示の過失があるとして、業務上過失傷害罪の法条を適用して処断したのは、法令の適用を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

しかしながら、原判決の認定した罪となるべき事実と弁護人の主張に対する判断の項において認定判示した事実とを総合して勘案すると、原判決は、被害車両が原判示交差点の直前において、一時停止したうえ発進して、交差点内を進行中に、その車両からみて右方の道路から進入してきた被告人運転の車両と衝突したという事実を認定し、この事実を前提として、若し被告人がその交差点に進入するに先だつて、一時停止または徐行して、左、右の道路、ことに左方道路における交通の安全を確認していさえすれば、その衝突事故は避けることができたとして、被告人が一時停止ないし徐行をしないで、時速四〇キロメートルのまま漫然進行した点に過失があると認定判示していることが明らかであつて、所論のように被害車両が交差点内に飛出し、被告人運転車両の前面突破を試みたなどという事実はごうも認定していないのであるから、その原判決の認定していない事実を前提として、被害車両は交通法規を全く無視する無謀運転をしていたものであり、従つて被告人はそのような暴走車両のあることまでを予測しながら運転進行すべき義務はないとして、被告人に過失ありと判断した原判決に法令適用の誤りがあるとする所論は、とうてい採用できない。論旨は、理由がない。

三、控訴趣意第二点(事実誤認)について

所論は、原判決は被害車両が原判示交差点の直前において一時停止したと認定しているけれども、同車両は一時停止をしないで交差点内に飛出したものであり、仮に一時停止をしたとしても、左、右の安全確認を全くしていないか、若しくは左、右の安全を確認しうる地点において停止したうえ、安全確認をしていなかつたのであり、従つて道路交通法にいう一時停止をしなかつたのであるから、原判決には右の点において事実の誤認があり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

しかしながら、原判決挙示の証拠によると、原判示の事実はもとより、原判決が弁護人の主張に対する判断をするにあたり所論が誤認と主張する点に関し判示している事実、すなわち被害車両が原判示交差点の直前において、一時停止したうえ発進したという事実もまた優に肯認することができる。もつとも右証拠によると、被害車両は右のように交差点の直前において一時停止してから、左、右道路における交通の安全を十分に確認しないまま、従つて被告人運転の車両が進行してくるのも気づかずに、発進したため、交差点内に進出したばかりの時期に、自車の車体右側部分に被告人運転車両の前部が衝突したという経緯にあつたことが認められ、従つて被害者側においても、安全確認を十分にしないまま交差点内に進出した点において過失があつたことが明らかにされるけれども、被害者側にこの程度の過失が存することは、被告人について原判示の過失があるとすることに何らの消長を及ぼすものではないこというまでもない。また前記証拠によると、被害車両は一時停止したのち、アクセルペタルを強くふみこんで発進していて、若干出足が早かつたことが認められるけれども、衝突したのは発進したばかりの時期であつて、まだ加速が十分についていなかつたものと思われ(被害者保坂哲の検察官調書によると、その時の速度が時速約一〇キロメートルであつたことが認められる。)、従つて被告人において減速徐行をし、かつ進路の安全、ことに左、右道路における交通状況について注意をしながら運転をしていさえすれば、より早い時期に被害車両を発見し、事宜の措置をとつて、衝突事故を回避することができたのであるから、この点もまた被告人に原判示の過失が存するとなすことを妨げるものではない。その他原審記録に現われたその余の証拠を仔細に検討しても、また当審における事実取調の結果に徴しても、原判決の所論の点についての認定はもちろん、その余の点についての認定にも、誤認を思わしめるような点は、ごうも存しない。所論は、被害車両が仮に一時停止をしたとしても、それは道路交通法にいう一時停止にはあたらないと主張する。しかしながら、原判決が前記のように被害車両が一時停止したうえ発進したと認定判示したのは、原審の弁護人が被害者側において被告人運転車両の前面突破を試みた事実があるということを前提として、本件に信頼の原則の適用があると主張していたので、その主張を排斥する判断を示すにあたり、被害車両は一時停止したうえ発進したという原審弁護人の主張事実と抵触する事実を判示して、同弁護人の主張するような事実がなかつたことを指摘したまでのことであつて、その一時停止が所論にいう道路交通法上の一時停止にあたるかどうかの点については一切判示していないし、またその必要もなかつたのであるから、所論は原判決の認定していない事実について誤認を主張していることに帰し、とうてい採用できない。論旨は理由がない。

四、控訴趣意第三点の(一)(量刑不当)について

所論は、被告人を罰金一万円に処した原判決の量刑は、重きにすぎ、不当であるというものである。

しかしながら、原審記録を調査し、かつ当審における事実取調の結果をも勘案し、これらに現われている被告人の年齢、性行、経歴、前科、家庭の状況、環境、本件犯行の経緯、態様、結果および犯行後の情況その他諸般の事情を考慮し、ことに被告人は交通整理の行われていない、かつ左、右の見とおしの困難な原判示の交差点を直進するにあたり、左、右道路における交通の安全を確認しないで、制限速度に相当する従前の速度、すなわち時速約四〇キロメートルのまま漫然進行した過失により、左方道路から進入してきた被害車両に自車を衝突させ、よつて被害車両の運転者に対し加療約三週間を要する原判示の傷害を負わせるという出会い頭の事故を起したものであつて、たとえ早朝のため交通が閑散であつたとはいえ、地方都市の市街地内にある原判示の交差点を制限時速一杯の速度をもつて、左、右道路における交通の状況をたしかめもしないで、通過しようとしたことは、乱暴であり、過失の程度は高いといわねばならないばかりでなく、結果も割合に重かつたことや、かつて道路交通法違反(速度違反)の罪により罰金刑に処せられた前科が二つあることを思うときは被告人の刑責は、軽視できないのであるから、さきに控訴趣意第二点に対する判断をした際説示したように、被害車両の側においても、左、右道路の安全確認を十分にしなかつた点はおいて過失があつたことや、被害者との間に示談が成立していることなど被告人に有利な事情を十分に参酌しても、被告人を罰金一万円に処した原判決の量刑が、所論のように重きにすぎ、不当であるとは、とうてい解せられない。論旨は、理由がない。

五、控訴趣意第三点の(二)(罰金の仮納付に関する法令の違反)について

所論は、原判決は被告人を罰金一万円に処したうえ、その仮納付を命じているけれども、被告人には右罰金額を納付する程度の資力は十分にあつたのであり、現に原判決も、被告人に対し原審における訴訟費用の全部を負担させ、少くとも原審の訴訟費用程度の罰金額ならば納付できることを認めているのであるから、原判決には、仮納付を命ずべきではないのにこれを命じた違法があるというものである。

しかしながら、罰金の仮納付の裁判は本案に付随する裁判であるから、その裁判に誤りがある場合には、本案に付随してのみ控訴の理由とすることができ、独立して控訴の理由とすることは許されないのであり、従つて本案の裁判に対する控訴がすべて理由のない本件においては、たとえ仮納付の裁判に所論の誤りがあつても、これを理由に原判決破棄の理由とすることはできないといわなければならないばかりでなく、記録によると、被告人は共かせぎをして、一子を養育しながら、アパート暮しをしている境遇にあることがうかがわれるので、本件の罰金一万円のほかに自己の負担すべき原審の訴訟費用二万五、三六〇円を臨時に支出することとなると、その支払いは必ずしも容易であるとは思われないばかりでなく、原判決が確定するまでには、勤務先や住居が変り、罰金の執行をするのに著しい困難を生ずるおそれがないとも限らないのであるから、原判決が刑事訴訟法第三四八条第一項に従い、被告人に対し罰金の仮納付を命じたことは、十分に理由があるということができるので、所論はとうてい容認しがたい。論旨は、理由がない。

六、控訴趣意第三点の(三)(訴訟費用の負担に関する法令の違反)について

所論は、原判決は被告人に対し訴訟費用の負担を命じていながら、その法的根拠を示していないので、原判決には法令の違反があるというものである。

そこで記録を調査すると、原判決が被告人に対し訴訟費用の負担を命じていながら、その根拠法案として刑事訴訟法第一一八条第一項本文を挙げ、同法第一八一条第一項本文を掲げていないことは所論のとおりであるが、訴訟費用負担の裁判について所論の誤りがあつても、さきに罰金の仮納付の論旨についての判断をした際に説示したとおり、本案の裁判に対する控訴がすべて理由のない本件においては、その点を本件の控訴の理由とすることが許されないばかりでなく、原判決の挙示した前記法条は、訴訟費用の負担とは全く関係のない法規であり、かつ第一項、第二項の別がなく、また本文だけで但書の設けられていない規定であることを考えると、原判決は所論の法的根拠として刑事訴訟法第一八一条第一項本文を掲げるつもりであつたのが、一〇の位の数字である八と一の位の数字である一とをとりちがえて、前記のように誤つた法条を掲記してしまつたものであることが容易に推察できるので、右は全く形式的なかしであり、控訴の理由となしうる法令の違反という程の事由ではないのであるから、いずれにしても、所論はとうてい採用できない。論旨は、理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により、これを棄却し、当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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